キメラティック刺さりモード

推し様推し様お仕置きキボンヌ

wow wow wow 青春 いろいろあるさ(映画「あの頃。」感想)

2、3人集ったらかしまし かしまし

なのだが、その2、3人と出会うことは奇跡だ。

 

今日はなんだか1日もぅまぢ無理。。。モードに突入していたため何もしてないけど藤本ミキティと松浦あややの動画をひたすらみて、ファーストガンダムを2話見て、100分で名著のマルクス資本論」回をようやく見て、本を読んで買い物に行った。

 

列挙してみると意外と色々できている。

 

・・・・・・

 

今日は一日テンション低かった原因はたぶんこれ

https://phantom-film.com/anokoro/

 

昨日ハロプロ好きの友人と見てきた「あの頃。」

映画の内容をざっくり説明すると、2000年代当初、ハロプロがアイドル界で天下を取っていた時代に熱狂していたオタクたちの青春ストーリー。

 

 

 

以下、多少ネタバレあり。

 

 

 

ハロプロは好きだけど隙あらば語ってしまうようなキモいオタクではない映画好きな友人の感想。

 

ハロプロの啓蒙映画ではない。松坂桃李のファンが見るにしても途中の彼女寝取る件が長くてきついし耐えられるのか?

 

映画全体としては、「あの頃」を経験している人たちからすると懐かしく輝いて見えるのだろうけど、そうでない人たちから見ると結局何がメインなのかは正直分かりづらかったと思う。

 

友情なのか、仲間内のバカ騒ぎの面白さなのか、アイドル・推しがいる生活っていいよね!なのかがわからない。

全ての要素の配分が同じくらいなので「で、結局なんなの?」となってしまった人は多いのではないだろうか。エンディングをあの形で終わらせるなら、もう少し仲間内の話を詳しく描写しても良かったのではと思う。

まあ、元がエッセイ漫画、つまり「わかる〜。」の方面を強く出すものなので「作品を通して伝えたいメッセージ」とかを求めることがそもそも間違っているような気もする。

 

 

上で散々微妙な感想を述べているものの、隙あらば語ってしまうキモいオタクである自分が1日凹むくらいには、この映画にはオタクの輝きが散りばめられている。

 

 

<突然の自分語り>

自分が「キモいオタク」である自覚は中学生くらいの頃からあって、ハマったらそれをひたすら調べ、頭でっかちな知識で語ってしまう癖がある。

それを極めていたらまた違う人生があったのかもしれないが、とにかく私はまともな人であることに拘りを持っていたので、高校は知り合いが誰もいないところへ入り「キモいオタクを卒業してまともな人間になるゾ!」と意気込んでいたのだ。

結局それはうまくいかなくて私は集団生活ができない体となっていくのだが、もし当時自分のキモさを素直に受け入れて、それを活用する方向へシフトしていたら?

 

この映画はそんなパラレルワールドが見えてしまった。

 

仲間内で好きなものを共有して、バカなことをして笑い合って、揉めて、戻って、という決して綺麗ではない(むしろ汚い)青春があること。

 

人と人とを結びつけるほど好きな何か。

 

そこから一歩踏み出した未来。

 

ここ最近どハマりできるものがないことと、一歩踏み出さず堂々巡りをしている自覚があった自分にこれが刺さった。

 

未だに自分のこと「キモい」って思ってしまうし、自虐で言ってしまうし、周りの人からオタク臭い挙動が出てキモいって思われていないか気にしてしまうし、オタクがアイデンティティみたいなところあったのに今ハマってるものないし、このまま希釈された自分を生きていくのか……と半ば諦めている部分もあった。

でも、頭おかしくなるくらい夢中になるものがあれば、歩き出せば、何度でも青春はできる。これはそういう希望の映画じゃないか。

 

一般向けの映画ではない。

でも、何かに深く熱中した過去のある人なら深く突き刺さる何かがある。

ぜひ劇場へあややに変身した可愛い夢羽ちゃんを見に行ってください。

 

そんなわけで、来週はひなフェス行きます。

 

p.s.

映画館にいた人の9割が女性でした。今やハロプロは完全に女性ファン市場へシフトしていることを再認識。