キメラティック刺さりモード

推し様推し様お仕置きキボンヌ

まあまあスペックのPCで、私に何ができるのか。

Ryzen5を搭載しグラボも積んだまあまあスペックのPCを使って動画を作るでもなく、絵を描くでもなく、写真を加工するでもなくブログを書いている。とても贅沢だと思う。

 

あまりPCパーツには詳しくないのだが、パソコンの注文時にインターネット記事と自作PC雑誌を漁った程度の浅い知識で語ると、Ryzenは動画の処理等が早くなるらしくクリエイター向きの仕様らしい。

 

私もついに「クリエイター」になる時がきたのか!

(希望の光)(溢れんばかりの高揚感)(光さす庭)(全能)

 

オタクなら一度はあこがれる存在「クリエイター」

中学生のころ、自分の周りには絵を描ける人が多くて周りの友人たちは美術系の学校に進んでいった。

絵が描けることはそれだけで萌え(死語?)を生み出せるし、文章をつらつら書くよりもぱっと見でわかりやすい凄さがあって褒められやすい。

そんな中、変に知識をためて頭でっかちに語ることしかできないオタクであった自分はそれがかなりコンプレックスで、「語ってるだけでは何も生み出せないんだよなあ(ついでに言えば私も特殊能力でめっちゃちやほやされてえな)」みたいなことを思ってしまう時があった。

 

ある時ふと、自分は何か作品に触れた後ほかの人の感想文を漁っていることに気が付いた。ここでいうほかの人とは有名な人もそうでない人も含めたインターネットで感想を吐いているすべての人である。

 

たとえ感想を話すことしかできなくても、それが時に遠い誰かの抱える視聴後、読後の言語化できない感情をクリアにする助けになっているし、時には共感して心の中でバシバシグッ!の握手を交わしていることだってある。

 

そういう在り方も、ありなのではないかとようやく思えるようになった。

 

ま、今でも絵が描ける人は超絶羨ましいですけどね~~~ッ!!!
きっとこんな記事を書きながら明日の朝にはまた「自分なんもできねえ」とか言ってる。

ちなみに絵を描けるようになろうプロジェクトは人生で何度か行っているのだが、持ち前の努力できない怠けスタンスと、そもそも絵を「描く」行為自体のハードルが自分の中でかなり上がっているせいか全く続かない。

絵でも文章でもなんでも、ものを生み出せる人を心から尊敬する。

 

P.S.

はじめてPCから投稿したけど入力しやすいしこちらのほうが字がスラスラ出てくる気がする。あとカスタマイズが容易。

1記事につき1000文字を目標にしているのだけど、どうしても800文字くらいで限界が来る。